Point of No-Return

バイクが趣味なおっさんのブログ

泡沫の夢(中国との接点2010年②)

初めて中国に足を踏み入れた2010年でしたが、
前年にはシンガポールを拠点にタイとインドネシアに行きました。
それぞれ、趣のある国・街でしたが、日本とは文化が全く違いますよね。

都市部とかではなく、人が生活する風景を見て、
何故か日本の原風景を思わせる中国というのは、文化歴史上の繋がりを感じます。

広東省増城の田園風景>

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ここ最近は少なくなりましたが、
狭い日本ですら方言で喋られるとコミュニケーション取れないことありますね。
(九州の祖父とはまともに会話にならなかった…)

中国では大きく分けてロシア寄り地域と黄河周辺、揚子江周辺、南地域では
まったく言葉が異なります。
それ以上に、漢民族が7割占めるらしいですが、少数民族が50近くあります。
(少数て言っても一億近い民族もいる…)

当然、仕事上一番大切なコミュニケーションツールである「言葉」ですが、
北京・上海・広州でも発音も使う漢字も違うんです。
田舎の人へのインタビューなんかになると、同じ中国でも「通訳」が必要。

ある程度長丁場の仕事なので、通訳としてサポートしてくれた少数民族
学生さんと仲良くなる中で、色々と中国人の大変さも分かる訳です。

例えば、当時ですが、
・中国人には都市戸籍農村戸籍があり、農村戸籍の人は自由に移動できない。
 (湖南省の農民戸籍の人は広州に仕事で行けるが、上海には行けない等)
 →電車の切符買うにも身分証明書が必須だったりする(した)
・医療はじめ社会保険は地元でしか使えない(今でも)
 →大卒で就職先地域に何年以上納税した等の実績で保険加入できる特例もある
・高難度の試験をパスし都市部の大学に入れば都市戸籍がもらえる 等など

中国で生きていくって大変なんだなぁ、と当時はうっすら分かった程度でした。

その一方、南方中国の少数民族の家には敷居と畳?があり、靴は脱いで家に上がる、
敷居や畳の縁は踏んではいけない、など、日本と同じような風習もあるそうです。
過去の戦乱で争いに追いやられた民族が南方中国から海沿いに北上し、
台湾や沖縄経由で九州や富山あたりから、造船・稲作文化と共に日本にやってきた、
という学説もあるようですね。
確かに、北部中国や朝鮮半島は元々、稲作文化はないですし、家の作りも違うね。

そうそう、体格や顔つきが日本人にそっくりな民族もいますよ。
文化人類学は専門じゃないので、この程度にしておきます。)

こんな事を感じながら、過ごした初中国だったのですが、
まさか、この年にあと2回も中国に行くことになるとは想像もしていませんでした。

何か縁があったんでしょうね。

そうそう、九州の祖父は戦時中、広州の飛行隊にいたと聞いたことはありましたが。
また、珠江の流れる広州は水害も多いのですが、
「戦時中、日本軍が作った下水道のお蔭で大きな水害にはならない。
 何十年も経ってるのにすごいもんだ!」と聞くこともありました。
(結構、この手の話は中国のいろんなところにあるんですよね。)

ちょこっと中国に親近感を持った経緯は、ざっくりと以上です。

<18年末に帰任前時点での広州>

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