今週のお題「人生変わった瞬間」
人生変わるって言うと大袈裟ですが、考え(価値観)が変わるってことはありますね。
そもそもガキの頃から、人生って最初から決まってるとは思っていないので。
(育ちが悪いので、マセたガキだったのでしょうね。)
想定や想像もしてなかったことが起きると、大なり小なり考えは変わりますよね。
北京の11月は暖房の使用が開始されます。
暖房は「暖气:nuanqi(ぬぁんちぃ)」と呼ばれるスチーム供給による、
セントラルヒーティングで、昔や郊外では石炭燃やして暖を取ってたんでしょうが、
大気汚染が深刻になってきた2010年あたりから、どんどん郊外にも拡大しました。
(郊外にもガスインフラが敷設されたが、石炭よりお金がかかる…)
赴任した2016年から北京四環路以内は石炭を燃やすのは全面禁止になったと思います。
露天で石炭を使って調理するのも取り締まられていました。
(それでも郊外にある工場からの排出ガスで、空気はめっちゃ汚かったですが)
まぁ、私のような「か弱い」日本人なんかは赴任早々、鼻腔粘膜が全滅し、
鼻水のように「滲出液(しんしゅつえき と読む)」が流れ出す状況で、
春休みの帰国の際に診察してもらった耳鼻科医曰く、
「花粉症じゃねーよ!鼻粘膜が剥がれ落ちてるな。ははっ全滅だなwww」。
(処方薬使って日本に一週間居たら完治した)
そんな状態で冬を迎えたわけですが、鼻は大丈夫でしたが(強い!)、
今度は喉がやられて、空咳が止まんない状況…
寝る時横になったら咳が止まんないので、睡眠もとりにくい一番嫌な状況ですよね。
そんな状況のある日、仕事中に燕子から、
「今日は何時に仕事終わるの?咳ひどいんだから早く家に帰りなさい。
まさかオネーちゃんのいる店に飲みに行くんじゃないだろね!」ってWechat受信。
→「へいへい、さっさと帰りますよ。テメーは何してるんだ?」
「今日は用事があるから、忙しい。」・・・ふぅん、まぁ、忙しいなら何よりだな。
で、退社し、真面目にアパートに帰ると誰かキッチンにいる…
サービスアパート(家具/掃除付きの1LDK)なんで、「阿姨*:ayi(あい)さんかな?」
(*:アパートの家政婦さんで掃除やシーツ&タオルの交換してくれる)
なぜか…燕子が…いる…
驚き声が出ない私に、「嘿!你的喉咙还不好吗?(ハイ!喉の調子はまだ悪いか?)」
为什么?…你?怎么办?(なんで?あんたいてんの?どないしよ?)
めっちゃびっくりしました。サプライズ飛び越え「驚愕」。
なんかね、「喉に良い料理」作りに来たんだって。
これまで映画見に行った後にお茶飲んだりで、何度かウチに来たことはあったんだけど…
仕事休んで、わざわざスーパーで「日本人の家にはない調味料」や食材買って、
慣れないIH調理器使って、ご飯作ってくれたみたい。
金柑や棗(ナツメ)にクコの実(ゴジベリー)なんかが煮込まれた薬膳スープ。
いや、こんなにしてもらったら…「惚れてまうやろ〜!」
年甲斐もなくドギマギしてる私に燕子は冷静に一言、
「老头,冷静一点。哪吃饭吧!我饿了」
(おっさん、ちょっと落ち着け。飯食おう!腹減った)
いやね、味の方は、身体が要求してたのか、美味いんですわ。これが。
ご飯に掛かっているのは「のりたま」(ふりかけ)ですが…
(これはこれで、中国人は気に入ったみたい)
ほんでもって、ウチだと床に座ってご飯食べるんですなぁ。
(ダイニングテーブルあるけど。中国人って椅子とテーブルっていう先入観があった。)
ま、こんなことになると…この後の「身の振り方」考えますよねぇ。
単に体調が悪い友人を見舞っただけなのかもしれないけど、
こういう行為や好意って嬉しいよね。特に得体も知れない北京なんかで一人暮らしだと。
多分、燕子も田舎を離れて北京で一人暮らしなんで、おんなじ境遇だったんだろうねぇ。
気の許せる相手がいない環境で一人で暮らす…
企業駐在員で生活が保証されているオッサンでもシビアに感じるのに、
生活の保証も、先の希望も叶えにくい中国人の女性にとっては非常に辛いでしょう。
(なので、男女問わず、中国人は身内以外の他人に無関心というスタイルになる。)
も、もちろん、紳士な日本男児ですから、遅くなる前にタクシーでお帰り頂きましたよ。
その日の晩、燕子が夏前に北京を去る時に言った「时间告诉你(時があなたに教える)」
という言葉を思い出しながら悶々としておりました。
「时间告诉我,什么?我怎么办!(時間は俺に何を教えた?どうしよう!)
この頃から、独り言に中国語が出てくるようになりました。
(語学もこんな友人がいるからこそ、上達するんですね。)
燕子はきっと今日の計画を達成して、ぐっすり寝てるんだろうなぁ、クッソォ!
なんてことがあって、以後の北京生活が変わり始めた11月の振り返り…でした。