Point of No-Return

バイクが趣味なおっさんのブログ

泡沫の夢(中国との接点2010年①)

中国に縁がなかった? という訳ではありません。
ただ、30代後半までは全く縁がありませんでした。

学生時代を過ごした80年代後半は鄧小平の国家発展政策もあり、
中国ブームではありましたが、私は関心が全くありませんでした。

90年前半にバブルが弾け、対米貿易摩擦円高などで日本の元気が萎みゆく中、
ユーロ圏やBRICsと呼ばれた新興国市場は右肩上がりでした。
そんな中、08年に起きたリーマンショックで、先進国は一気にどん底に…
絶好調で伸びる中国に対する企業の関心も否が応でも高まります。

「おーい、中国の沿海部は調子良さそうだが、内陸部も発展の可能性あるか?
 ちょい調べて来てちょ。そうそう、リーマンショックで予算ないから、
 部下連れていかず、一人で行って現地のエージェントと合流してレポートしてね。
 大丈夫大丈夫、上海万博も控えてるから英語使えるらしいぜ!」
といった、非情な指令が飛んできました。
(あのぉ、中国どころか台湾・香港も行った事ないし・・・)

そんなこんなで、中国語も喋れず、英語が通じる(ガセネタ)という話を信じて、
スパイ容疑でとっ捕まらないよう、商用ビザ手配しつつ、09年度の予算余剰を活用して
2月に初めてユーラシア大陸の東端に降り立ったのです。
(西には行った事がありますが…)

上海虹橋空港に着いたのですが、道路の汚さ(ほこり・ごみ・痰)に慄き、
スーツケースのキャスターを転がすのも憚られた記憶が鮮明に・・・
この頃の上海はまだ、発展途上でしたね。横断歩道もなく、道路横切るのも必死。

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「英語が通じる?」・・・どこの話だよ!
タクシー乗り場は割り込みできないよう、ちゃんと鉄の柵で列を作るようになってたが
意味をなさない状態だし、運転手は英語なぞ通じない。
地図でホテルの位置を運転手に見せるも、「不知道(わかんね)」。
メモ帳に漢字でホテル名を書きつけてようやく、意図が通じる。
そう、中国人は地図が読めないのです。世界でも地図が読めるのは日本人ぐらい。
ヨーロッパ人も2000年初頭は矢印ナビ(Turn by Turn)が主流でしたね。
当時はナビもないし、現在でもナビは音声ガイドでしか使ってないと思いますよ。

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今やどこにでもあるユニクロも、当時は上海のみ。
値段も日本の2倍はしてました。高級品ですよ。
三年前でもユニクロの値段は1.5倍程度で、ハイセンスな中国人のご愛用衣料でしたね。

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当時は春節(中国の正月)の人民大移動も知らずに駅の人の多さにびっくり。
新幹線乗るにもパスポートとチケットの両方確認が必要なのも驚きでしたが、
外国人は窓口が異なるので思いの外、スムーズだった気がします。
丁度、「段ボール肉まん」「廃油再生食用油」など話題てんこ盛りでしたので、
3食、吉野家ミスドマクドで上海を過ごしました。

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この福州行きの和諧号(CRH)は翌年の7月に温州駅前で脱線事故を起こし
埋められちゃう事故を起こすんですけどねぇ…

温州まで4時間程度だったか?ミスドでドーナツ買っておいて良かった。
一等客車に乗ったのですが、ドイツのICEと同じ車両なので、テーブルを挟んだ
四人掛けのボックスシートで、カタコト日本語のエージェント達と過ごすが、
北京から来た彼女たちにはミスドは口に合わないのか、手は全くつけず。
唯一、80年代生まれの20代の娘だけは「うまいうまい」と食っている状態。
(80年代生まれ以降は、海外文化・特に日本アニメに触れまくってるからね。)

4時間も乗ってると途中でトイレにも行きたくなるが、
向こうは「紙を流さない」文化なのと、流すトイレも当時は少なかった事もあり、
皆さんの排出物がそのまま残り、溜まってる状態。
ドアを開け、中を見て、ドアを閉める・・・
(まだこの時は、インドを知らなかったので、「2度と来るもんか!」と
 心に誓ったのであるが…)

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当時の温州駅。夜7時過ぎに着いた気がするが、周りに何もなく、
「暗い…暗すぎる…」というのが、地方都市の第一印象。
今は、周りに高層ビルやマンションが立ち並び、立派な都市になってますが。

ホテルにチェックインした時に、「デポジットにインターナショナルカードを出せ」
というので、VISAを出したら、「これはインターナショナルではない!」と言われた。
インターナショナルとは「中国内で使える」という意味らしい…(当時は)
仕方なく、一泊200人民元程度のホテルに、保証金として800元の現金を差し出した。

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温州から車で数百キロ移動して、浙江省界隈の経済発展しかけている村を巡る。

この村は古い家を解体し、新しい集合住宅を作っている真っ最中だった。
村長(村共産党の書記長)に会って、色々話を聞かせてもらったが、
「茶を飲め、タバコ吸え!」とほんと、遠来より来る客に対するもてなしは凄かった。
(普段は湯を飲んで、数元のタバコを吸ってるのに、百元単位のお茶とタバコ…)

「日本人嫌われてるんだろうな」と身構えていたが、
「我が村に日本人が来るなんて、非常に名誉だ!」と、どこに行っても歓待を受けた。
別に商売しに行った訳じゃないんだけど。

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村のお寺?と、コンビニ、村々の中心部分(鎮)の商店街…   
今はどうなってるんだろうなぁ。
2010年当時、外資系企業の工場進出で立ち退かされた保証金を元手に、
村の建物を建て直し、それを工場に出稼ぎに来た地方民に貸して賃料収入を得て、
ついでに余った金で海外から輸入した粗大ゴミから再生資源を作り、売る。
といった形で資産を形成していたようです。

それを可能にしたのは、新幹線と高速道路網。
やはり社会・交通インフラが経済を発展させる原動力なんですね。

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この後、広東省に行き、またもや村々を巡るのであった。